好奇心を爆発させよう

【書評】マキャヴェリ著の『君主論』は新年から目の覚める一冊です。

人はなんで目に見えないもの(国家とか、権力とか、地位)に影響されるのかについて関心を持ち始めた今日この頃。

前々から気になっていたマキャベリ著の『君主論』を今日kindleで購入した。

今回は『君主論』の書評を書こうと思う。

君主論とは

君主論とは1532年の遠い昔に、ニッコロ・マキャヴェッリによって書かれた政治学の著作のこと。

wikipedia先生を参照すると、

歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量(徳、ヴィルトゥ)が必要かなどを論じている。その政治思想から現実主義の古典として位置づけられる。

君主論 - Wikipedia


ま、要するに『あいつはあんなことしてたから、滅びたんやで』とか、『あいつのええ政治やってたけど、それは実はな…』みたいな感じで、マキャヴェッリっていうおっさんが色々考えて『君主はかくあるべし!』的な感じで一冊にまとめたのが君主論

マイクロソフト日本法人の元社長である成毛氏やキング前英中央銀行総裁の愛読書でだったことでも知られている。

君主論が読まれている理由

君主論は国家の上に立つ人間がどうあるべきかを説いている内容で、500年近く読み継がれているということが、『君主論』には普遍的事実が書かれているということを証明している。

現代に置き換えて考えてみると、会社などの組織のトップに立つ人間がどう振る舞うべきかについての教養を得るための必読書として各所で推薦されていたりする。

Googleで調べてみても、『リーダーシップを学ぶための教養書』みたいな感じでおすすめに出てくる。

君主論の内容

君主論の内容は、『なるほど、確かにね!』っていう内容はどちらかというと少なく、何となく許容しにくいような内容が大半というのが個人的な印象。

『必要であれば悪徳も行使せよ』とかね。

「第17章 - 残酷さと慈悲深さとについて、敬愛されるのと恐れられるのとではどちらがよいか」ではこのような一節がある、

ここでもう一つの議論が生まれる。恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいか、である。だれしもが、両方をかねそなえているのが望ましいと答えよう。だが、二つをおわせもつのは、いたってむずかしい。そこでどちらか一つを捨ててやっていくとすれば、愛されることより恐れられるほうが、はるかに安全である。というのは、一般に人間についてこういえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだと。

君主論』より引用

性善説的に考えがちな僕の思考とは全く逆だった理由は、君主論が描いている世界は戦争がボンボン起こっていて、僕が生きている世界なんかよりも何倍も生々しい人間の本性が出ているからかもしれない。

ここまで大胆に人間について描写してしまっていることも、君主論が長く読まれ続けている理由の一つかもしれない。

他にもこれはうなづける一節としては、リーダーの意思決定について

民衆が愛するのは、彼らが勝手にそうするのである。だが、恐れられるというのは、君主がわざと、そうさせたのである。したがって、懸命な君主は、もともと自分の意思に基づくべきであって、他人の思惑などに依存してはならないのだ。

君主論』より引用

いわば『自分でちゃんと決めないと、権威は守れないよ!』ということを教えてくれているわけである。

リーダーとは恐れられ、時には悪徳を行うことも必要であるというのが君主論のスタンス。

他にも面白いなと思ったところは、「第25章 - 人間世界に対して運命の持つ力とそれに対決する方法について」のところの一節で

さて、結論をくだすとすれば、運命は変化するものである。人が自己流のやり方にこだわれば、運命と人の行き方が合致する場合は成功するが、しない場合は不幸な目を見る。

君主論』より引用

つまり、じぶんのやり方や信条に固執するんじゃなくて柔軟に変化し、運命に服従するんじゃなくてコントールしろよ!的な感じ。

リーダーとしての教養を古書から学びたい方は君主論は読んでおいた方がいい。